調査状況

田中調査員が、ゆめスタジオプロダクションの元スタッフの現在の状況を調査した。判明している8名の情報を以下にまとめる。接触に成功したのは5名。うち取材に応じたのは4名。

元スタッフ一覧

1. 山本修三(プロデューサー)

在籍期間1988年〜1997年(設立から解散まで)
現在の所在行方不明(1997年秋〜)
接触不可

代表取締役兼任。1997年秋に消息を絶つ。家族が捜索願を提出したが、その後取り下げられている。意図的に身を隠していると推定。2026年の番組放送後も、一切の反応なし。

2. 佐藤真一(ディレクター)

在籍期間1991年〜1997年
現在の所在神奈川県内
現在の職業定年退職済み(元・別のテレビ制作会社勤務)
接触成功(2026年2月)

連絡が取れ、取材に応じた(otayori_12で証言)。Bスタジオについては「知らない」と繰り返す。Aスタジオでの番組制作については詳細に語った。しかし、キツネ団長の異常動作について質問した際、長い沈黙の後「あのキツネは……おかしかった。1995年の秋頃から、まるで別の誰かが中に入ったみたいだった。でも、そんなことを誰かに言ったら頭がおかしいと思われる」と述べた。それ以上の質問には応じなかった。

3. 田中恵子(脚本)

在籍期間1991年〜1995年
現在の所在千葉県内
現在の職業会計事務所勤務
接触成功(2026年2月)

連絡が取れた。1995年退社後は別業種へ転職。memo_10.htmlのメモの作成者。フロッピーディスクのデータおよび台本コピーを提供し、番組の調査に大きく貢献。取材に対し「30年間、あの会社のことを忘れようとしてきた。でもキツネ団長が動いたのを見た日のことは一度も忘れられなかった。あのメモを残しておいて良かった」と語った。現在は本番組の調査に協力的。

4. 伊藤和彦(キャラクターデザイン)

在籍期間1991年〜1997年
現在の所在連絡あり
接触成功(取材に応じる意向)

連絡が取れ、取材に応じる意向を示している(otayori_11で投稿)。キツネ団長をはじめとする全キャラクターのデザインを担当。番組終了後はデザイン事務所を設立したが、数年で閉鎖。

5. 中村由紀(音楽)

在籍期間1991年〜1996年(契約終了)
現在の所在地方で音楽教室を経営
接触取材拒否(手紙で回答)

番組の楽曲(OP・ED含む)を担当。取材は拒否したが、手紙で回答を寄せた。「さよならの向こう側」の歌詞については「私が書いたものではない。誰が書いたのか今も知らない。あの歌詞を渡された時、子ども番組の曲としてあり得ないと思った。でも山本さんが『上からの指示だ』と。結局、曲だけ書いた」と証言。CD「うたのアルバム」の12曲目(音声トラック)については「知らない。私の関与は10曲目まで」と述べた。

6. 松本幸男(技術)

在籍期間1991年〜1997年
現在の所在在宅
接触取材拒否(電話で一言だけ証言)

アニマトロニクスの機構設計・メンテナンスを担当。在宅だが取材は拒否。電話で一言だけ「あれは俺たちの手に負えるものじゃなかった」と述べ、以降は応答なし。

7. 吉田一郎(セット設計)

在籍期間1988年〜1997年7月(退職)
現在の所在行方不明(1997年9月27日〜)
接触不可

あかねの父親。1997年7月に退職(娘の異変を認識した後と推定)。1997年9月27日を最後に行方不明。sighting_02.htmlの目撃#11で、キツネ団長が吉田の旧居住地付近に出現している。あかねが父を探しているのか。吉田自身は——生存しているのか。

8. 小林裕子(音声)

在籍期間1991年〜1997年
現在の所在連絡あり
接触成功(条件付きで取材に応じた)

連絡が取れ、条件付きで取材に応じた。「あの頃録った音声の中に、放送に使われなかったものがある」と証言。かあ博士の音声ファイルの中に未使用の音声データが大量に存在したと述べているが、その内容については語ることを拒否している。

まとめ

接触成功・取材応じた4名(佐藤、田中、伊藤、小林)
接触成功・取材拒否2名(中村〈手紙で回答〉、松本〈電話で一言〉)
行方不明2名(山本〈1997年秋〜〉、吉田〈1997年9月27日〜〉)

中枢に近い人物ほど所在が不明であり、周辺的な役割だった人物は追跡可能。これは組織的な隠蔽の典型的なパターンである。山本の特定が、事件の全容解明の鍵となる。

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