File_13 — きらら放送

yoshida_investigation / author: yoshida_ichiro / classification: unrestricted

番組を放送していたのは、きらら放送という小さな地方局だった。

地方局としても小規模な部類で、社員は20人もいなかった。自社制作の番組は地域のニュースと天気予報くらいで、あとは全部キー局からの買い番組で枠を埋めていた。そんな局が、毎週土曜の朝8時半に、自社制作の子供番組を6年間放送し続けた。不自然すぎる話だ。

答えは単純だった。異常なほどの報酬を受け取っていた

制作費は複数のペーパーカンパニーを経由して、匿名のスポンサーから支払われていた。金の出所を辿ろうとしたが、途中で全ての会社が解散済みだった。きらら放送にとって、「木漏れ日遊園地」の制作費は局の年間収入の半分以上を占めていた。断れるわけがなかった。

元編成部長が後に認めている。「あの番組には毎週同じ時間帯を確保しろ、放送前のプレビューは一切するな、内容に関する問い合わせには応じるなと言われていた。異常だとは思った。でも金を見たら、何も言えなかった」。

局のスタッフは誰も、番組の収録現場に立ち入ったことがない。完成した放送テープがゆめスタジオから届き、それをそのまま流す。中身を確認する権限も、気力もなかった。

1997年9月、番組が終了した。最終回は放送されなかった。テープが届かなかったのだ。きらら放送は番組の穴を地域ニュースの再放送で埋めた。視聴者からの問い合わせはゼロだった。

翌月、ゆめスタジオから「全アーカイブテープのリサイクル処理」の依頼が来た。局に保管されていた6年分の放送テープが全て回収された。公式には「素材の再利用」。実態は破棄だ。放送の物理的な記録は、こうして全て消えた。

きらら放送自体も1998年に解散した。番組終了からわずか1年。経営難が理由とされているが、あの制作費が止まれば当然の結末だった。局の収入の柱を一本抜かれたようなものだから。

きらら放送の元社屋は現在、月極駐車場になっている。看板一つない。そこにテレビ局があったことを知る人間はもういない。

彼らは共犯だったのか。俺はそうは思わない。彼らは真実を知らなかった。知ろうともしなかった。金を受け取り、テープを流し、質問をしなかった。それだけだ。

俺は彼らを責められない。俺も同じことをしたから。金額は違ったかもしれない。動機は違ったかもしれない。でも「見て見ぬふりをした」という意味では、俺もきらら放送も同じだ。